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スイス生まれ。バーゼルの美術学校時代、ダダのクルト シュヴィッタースに少なからず関心を示して 生涯の出発点とした。シュヴィッタースが拾い集めて無作為に結びつける廃棄物は、一転して現代社 会の素顔を成立させている。ティンゲリーはこれに無作為な動きを与えることで、人々をいっそう挑発 した。1954 年パリで最初の個展。ここではアルプやマレーヴィッチの形態がゆるやかに、あるいは 音響を発しながら回転した。回転レリーフ『メタメカニズム』をへて、1959年には自動デッサン機械『 メタマティック』を発表。これは気まぐれに不規則に動く装置の先端にペンが支えられていて、用紙を あてると自動的に抽象画を描き出すものである。その年のパリ青年ビエンナーレに登場した巨大な『 メタマティック』は、会期中におよそ2万点のデッサンをものしたといわれる。さらに1960年にはニュ ーヨーク近代美術館で『ニューヨーク賛歌』なるイヴェントを行った。すなわち『ニューヨーク賛歌』は廃 品類のアッサンブラージュにして奇妙な動きと騒音を伴う『作品』であるよりは、自らの動きによってつ いには自滅する狂おしいプロセスをみせるためのものであった。ティンゲリーの作品については観衆 はおのずからそれに巻きこまれる。ただし、いつでも不調和な関係におかれる。そうして20世紀文明 に対するアイロニカルな『賛歌』を余儀なくされている。 |