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ワシリー・カンディンスキー
Wassily kandinsky(1866-1944)
 ロシア出身の画家。抽象絵画の創始者。モスクワに生まれ、パリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌで没す
 る。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したのち、教授招請を断り、1986年ミュンヘンに移住、
 シュトゥックについて絵を学ぶ。初期の作品はユーゲントシュティール、印象主義およびロシア民芸の
 影響が顕著である。1902年ミュンヘンの芸術家集団「ファーランクス」に付設するかたちで絵画教室
 を開く。1903年〜1908年ミュンヘンに居を定め、ときおりムルナウに滞在。絵に表現主義的傾向
 がつよまる。1909年ヤウレンスキーらと「新芸術家協会」を設立。1910年水彩による最初の抽象
 画(ニーナ・カンディンスキー旧蔵)が成立、以後画面から次第に対象的要素が姿を消す。同じ頃、
 Uber das Geisting in der Kunst(西田秀穂訳「芸術における精神的なもの」)を執筆。マルク、マッケ
 、クレーを知り、協力して1912年「ブラウエ・ライター(青騎士)」誌を刊行する。1914年ロシアに帰
 国、革命後モスクワ美術学校教授となる。1921年ドイツに戻り、1922〜33年バウハウスで教鞭を
 とる。1933年パリに亡命。その抽象絵画は、形態、色彩ともに激しい動勢を示す“ドラマティックな時
 代”(1910−20)、建築的構成の“コンポジション時代”(1920−24)、“円の時代”(1925−28)
 、晩年の“具体芸術の時代”に大別しうる。代表作は1910〜39年に制作された「コンポジション1」
 より「同10」にいたる10点の「コンポジション」。主なコレクションはガブリエーレ・ミュンターの寄贈し
 た初期作品群がミュンヘンのレンバッハ画廊に、2度目の夫人ニーナの旧蔵品の一部が、パリ国立
 近代美術館に、そして、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に相当数の作品がある。版画集「小さ
 な宇宙」がある。邦訳の著作集全4巻(いずれも西田訳)もある。