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『ザンドメニク家』などが描かれた1879−80年は、ゴッホの素人画家としての最後の年である。 80年夏に画家として生きることを決意した彼は、まずブリュッセルで、次いでしばらく間をおいた後 ハーグで絵の勉強をする(ハーグ時代、1881−83 年。 『バケツを運ぶ老人』など)。 『牧師館の 庭』や『機械工』が描かれたヌェネン時代(1883−85年)、ゴッホのオランダにおける最後の時期 であり、また『馬鈴響を食べる人々』など初期の代表作が描かれた時期でもある。アントワープ時代 を挟んだ後、1886年パリへ出た彼は、っこで新印象派の影響下、パレットを急速に明るくし、色彩 画家としての道を進んでゆくが(『リラの花』)、彼がその様式を確立するのは、1888 年から89年 のアルル時代である。この時代に、彼の代表作のほとんどが描かれたのである(『種蒔く人』)。ゴー ギャンとの共同生活が破局のあとの、約一年間のサン=レミ病院時代(1889−90年。『サン=レ ミ病院』)。そして、最後の短いオーヴェール時代。37歳で自らの生命を絶ったゴッホの、画家として の活動期は、そのわずか10年ほどであったが、その間に彼は、800点以上の油彩画と、おびただ しい数のデッサンを残したのである。 |